久しぶりに書く。
49日ぶりだって。
ずっとこれ書きたいなとか、ストックしてたいいツイートがあったんだけど後回しにしっぱなしだった。
8月に入ってから週5で久しぶりに働くようになって、朝も早いし慣れないことばかりでへとへとだったね。
ぽやぽや浮かんでたことはたくさんあるんだけど、いざ書くとなると出てこない。
こんなところで遠慮しなくていいんだよ我がアイディア。
とりあえず最近「なぜ実写よりアニメが好きなのか」ということを考えていて答えが出た。
たぶん、実写だと俳優さんのことを考えたり「現実なら…。」みたいなところに視点や思考がいってしまうせいで、物語に没頭できず楽しかったという経験値がなかなか湧きづらい。
その点アニメの場合、声優さんがあの人だなくらいは思うけどそれよりもキャラクターに感情移入しやすいし、物語にも没頭できる。
あとは、アニメの色鮮やかさやアニメーション自体が単純に好きだ。
ただ、論理がグラグラだけど作品によっては実写で引き込まれる作品もたくさんあるから一概に言えないのが現状だけど、大筋としては間違っていないと思っている。
今後の参考に好きな実写作品置いておく
・獣になれない私たち
・アンナチュラル
・コンフィデンスマン
・凪のお暇
アニメで好きな作品がうすぼんやりしているな…
最近だとグレートプリテンダー観た時に面白かったんだけど、アニメだしうまくいくよな~って思ってしまってあまり楽しめなかった。でも、コンフィデンスマンは現実世界で起こりうるかもしれないっていうリアルが混じってたのとハラハラ感がよかったかな。
アニメなら俺ガイルや星合の子はアニメじゃないと感動できなかったと思うんだよね。たぶん実写だとその年合いの子の話かなとしか捉えられない感性しか働かないと思うんだけど、アニメだからこそデフォルメは確かに学生だけど語っていることは今の私にも通じるなと感じられる。
そんな感じで話がまとまらないからいったん終話するけど、どうしてだろうというのはこれからも考えていくつもりだ。
一時期なんでだろうって思うことをまとめていたんだけど、あれって心に余裕がないと考えられないから習慣化するように、また毎日小さなことでいいから1つ見つけていこう。
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「何かして欲しいから産んだ訳じゃないんだよ?何かしてあげたいから産んだの。たくさん泣いて、最後に笑えたら、それで全部大丈夫。大事なのは、最初でも途中でもなくって、最後なんだから」
これで泣いた。まさかリゼロで泣くと思ってなかったからこの回ジワジワくるな~と思ってたらやられた。
自分の生きづらさが自分で気づけてからというもの、こんなことまで辛かったんだってことがポロポロとでてくる。
私は親が求める行動をとらざる終えなかったし、反発もしたけど不完全燃焼で傷が残るまま成長した。
最近少しづつ自分の声を大事にして生きてはいるけど、自分が思っているより傷というか穴というか根っこは深く大きい。
ここ1年親に何もできていないし役に立ってないし、申し訳ない気持ちでいっぱいな心のモヤモヤをこの台詞がサーっと吹き飛ばしてくれた。
わかってはいたけど言葉にされるだけでこんなにも心が楽になるんだと思った。
何かした方がいいにけど、何かしてほしくて産まれたわけではないと心に言い聞かせた。
ツイッターでちょこちょこ見るけど、私たち世代ってあんまり親に褒められてこなかった人が多いね。毒親とかじゃなくても、我が子のことは謙遜するのが当たり前みたいな時代だったもんな。今からでもみんな褒められてほしいし褒めてあげたい。
— なのふな (@nanofunya) 2020年8月19日
みんなかわいいね、賢いね、優しいね。
小・中と部活の試合で点を決めた時に母に「ミラクル」と言われたのがすごく悲しかった。
たしかに考えてプレーするタイプじゃなかったし、奇跡だったかもしれない。
けど、奇跡が重なって自信になっていくかもしれないところを、その一言で削り取られたような感じ。
母としては深く考えず放った言葉かもしれなかったけど、私にとってはその一言がまだたまに付きまとってくる。
母のせいにいつまでもしててもしょうがないけど、こういう傷は言葉にして消化するのが一番なので、これで一旦忘れよ。