2月と3月の2ヶ月死ぬほど疲れた。
毎日疲れが抜けなくて、3月は慣れたとはいえ、気が抜けないし、休憩もちゃんと取れなくて、心を殺してなんとかやってた。
現場に入りすぎだと思うし、もうちょっと投げても良かったと思うけど、これ以上負荷をかけて倒れちゃったらって思うと、私が頑張らなきゃスイッチが入り続けてしまったよね。
上司からしたら、多分やりすぎで、しんどいのはそこまで背負った私の責任であって、それは間違ってないわけであって。
ただ、そういうふうに言われたわけじゃないけど、会話の節々でそう思われてるかもって感じる瞬間がいくつかあると、辛いことも話せなくなって、どんどん自分を殺さないとやりきれなくなってくる。
自分を殺すのには慣れてるし、自己犠牲も慣れてるし、誰かに褒められないことも慣れてるし、受け止めてもらえないことも慣れてるから、周りから見たら疲れてるくらいで、そこまでダメージを負ってないようにきっと見えるんだ。
上手にアピールできないし、吐けないし、悲劇のヒロインにもなれないから、結局殺した気持ちは自分の中にしか留まらなくて。
本当に自分のキャパ以上のことをやってたから、毎日一杯一杯で、こなすのに精一杯で、自分を殺さなきゃやれなかった。
その気持ちを打ち明けられる相手もいなくて辛かった。
家族に打ち明けたとて、大変だねでもっとわかってよとか、泣けれる関係値じゃないし。
3月に入ると泣けなくなっちゃって、辛いなぁって思っても心が乖離しすぎて、感情が出てこなかった。
カラオケに行って、歌に感情を込めてたらやっと泣けるレベルで、しんどかった。
子どもは可愛いし、仕事のスキルとしては力がついたし、現場の実態も中に入って身をもって感じたこともあったし、マイナスばかりじゃなくて、プラスに転じたことも沢山あるから、こんな経験したくなかったって話にしたいわけでもないんだよ。
でも、私の胸の内をちゃんと受け止めてくれる人がいてほしいって話だよね。
園の職員に最後にお菓子を渡そうかと思ったけど、上からになるかなとか、今後も渡さないと大変な時だけとか色々思われてもなって思って、あえて渡さなかったんだよね。
でも、そしたらある職員の方がお礼にってお菓子くれて、手紙もついてて、それを貰ったことを落ち着いて実感できた時に「あぁ、私のやってたこと少なくとも間違えじゃなかったんだな」ってグワァって思えて、凄い嬉しかったし、やっと報われた気がした。
上司からも心配されるわけじゃなく、アドバイスされるわけでもなく、自分で決めて色々フォローしたりして、真っ暗なトンネルを自分のこれまでの経験と目に入る道具を片手にがむしゃらになんとか進んできたから、正しい方向に行くかわからないけど、立ち止まっちゃいけないから、なんとか前に進まなきゃってひたすら進んできたから、3末になっているこの場所は正解かもわからなかったけど、ひとつの成果として、一緒に進んだ人から貰えた言葉は今までの頑張りを認めてくれたご褒美みたいな感じがした。
今回の一件で、仕事にここまで偏ると、私生活が皆無になってしまった。
私の人生は仕事じゃないし、2ヶ月だけだけど、私が生きてるって実感がだいぶ薄れてしまったから、やっぱりなるべく定時に帰って、英語や筋トレとか私の幅を広げていって、私を殺さずに「まぁ、生きてていっか」って思えるような生活を送れるようにしてこう。
4月もまだ忙しいけど、私を取り戻していこう。