人によって不幸の基準が違うことに最近気づいた。
前々からわかってはいたが、ブルーピリオドでの桑名さんのセリフを読んでガツンときたからである。
「・・・幸福度の比較なんか意味ないよ
人の痛みなんか想像でしかないんだから」
私はとにかく人のことを考えすぎるあまり、当事者が考えている以上に気持ちを推し量りすぎたり、逆に問題点と大いにずれてるほうを心配したりと、心配が空回りする。
阿保かって感じだが、1人でジタバタして、1人で疲れて、1人で反省会してる。
でも、そんな風になってても当事者は勝手に復活してたりするパターンが多い。
なんども辞めようと思ったけど、つらい気持ちに毎回より過ぎてくたばりかけての繰り返しであった。
でも、最近自己を確立してきたときに人との境界線を引かないと「私」が侵されて安全を保てないし、不用意に人によりすぎちゃうから人と自分の境目がわからなくなって死んでくるってことに気づいた。
そこから距離をとって全体を考えてみるようになったときに、自分以外とは一生他人だし、どんだけ一生懸命考えても相手の気持ちは想像でしかないと思えた。
完璧に理解しようとするのは違って、相手の気持ちって推し量ったことに意義があって、相手はその気持ちで嬉しくなるのではないかと思う。
それに、そんなに相手が気にしてないことのほうが多い気もするし、1人でモヤモヤ考えてから話すより、相手の話を聞いてあげるほうがベストな気がした。
人と関わるのって大変だけど、でもすごい楽しいんだよな。
だからその本質を守るためにも、私が相手への接し方をうまくしていくべきであるんだよね。
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ふとした時に読み返すべきだなってブログやtwitterをストックから見つけたもの。
さかのぼっていたらたまたま見つけたけど、今回の話はまさしくこれだった。