毎日noteを読んでいるのだが、フォローしている為末さんの記事が刺さった。
http://長期のストレスに弱い人|為末大学 Tamesue Academy @daijapan #note https://note.com/daitamesue/n/n61820be4a93a
為末さんは以前からフォローしているので、前々から共感する記事や目から鱗な記事があったが、今回はジワジワとガツンと響いた。
今後の自分のためにも客観的な備忘録として書いていく。
早速引用から。
ひっくり返してみると、ストレスに強い人間は何かを我慢できるというよりも、辛いときに辛い自分を認め、弱いときに弱い自分を認められることなんだろうと思う。辛いときに自分を責め、弱いときにそんなはずはないと取り繕ろおうとするなら、自分を説得するだけで体力を使い果たしてしまう。
最近ようやく自分を認められるようになってきた。
認められるようになってきたのは良い面だけではなく、今まで認めたくなかった自分的に悪い面も含めてである。
そして生まれてこの方は、上記の後者のようなマインドだった。
本当にその通りで、自分を説得するだけで体力をすり減らす。
その結果、騙しだましで途中までは何とかできるが、途中からできることも回らくなって潰れてしまう。
精神的に疲れやすい人は、この取り繕わないといけない状況か、取り繕ってしまう性格が多いように思う。人生の前半でいい子を演じる必要に迫られそれに適応してしまい、その弊害が後半に出ている。普段は取り繕っているので、疲れてその抑制が効かなくなると別人のようになる。
私の経験からだと、取り繕ってしまう性格の前に生まれてからの生育状況からの影響で取り繕う性格になると思う。
周囲から過度に期待されたり、相談できない状況下にいると取り繕わないと求めれる像を保てないので、自分自身で何とかするためにできない部分を自罰したり無視して「取り繕ってできる性格」を保つことを優先する。
書かれているように、人生の後半で「自分」を考え始めたときに「無視してきた自分」との付き合い方がわからなくなったり、一人では抱えきれなくなって疲弊してぶっ倒れる。
別人の面でいえば、怒る時や愚痴を言うときは言葉遣いが普段の倍以上汚くなる傾向があるので、そういうところかなと思う。
これを一回目に読んだときはあまりピンとこなかったが、二回目に読んだときに自分を客観的に見て考えた際に「今なりかけている私と昔の私の話だ…」と驚いた。
今なりかけている私は少しづつ思考が変わっているので、自分でも気づきにくかったがこのブログから自分の成長を認知できてうれしかった。
生まれてからの習慣はなかなか変えるのは大変だが、私のペースで生きやすくなっていこうと思う。
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本屋さんでたまたまこの本の表紙を見て、POPさと題名の力に惹かれてとりあえずネットで検索してみた。
本の内容はめんどくさいので割愛するが、下記の言葉に思うことがあったので書いていく。
あまりにもつらく、耐えがたいならあきらめろ。あきらめたって問題ない。
新卒で入社した会社が合わなくて死にたくなっていた時の自分はこんな考えができなかった。
でも、あきらめて問題なかったと今の私を見てそう感じる。
私が問題ないなら問題ないと思う。
ほかの選択肢はないと妄信してしまうことがいかに愚かであるかという話である。
公務員が大事な命をかけるほどの大仕事でもあるまいしと、この青年の気持ちが理解できない人も多いだろう。しかし、人間というのは何かに執着し始めると、ほかのことはまったく視野に入らなくなるものだ。僕も死のうと思ったくらいだから。
ほんの少し顔を上げて周囲を見渡すだけで、ほかの選択肢がいろいろとあると気づくのに、執着してしまうとそれが見えなくなる。たった一つ、この道だけが唯一の道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ。
辞めたはいいが転職活動に途方に暮れていた時の自分がほんとこれである。
特に転職活動中は当たり前とくくるのもあれだが、「転職しなきゃ」でいっぱいで、何がしたいのかとかあまり考えられず、転職以外の方法が考えられなくて苦しくなっていた。
でも顔を上げたときに、やりたいことが見つかって「なんとかなるか」と思えた時に悲劇が終わって不安はあったが、以前よりも楽になれていた。
道は絶対一つではない。そして信じて進んだその道が、歩んでみると思い描いたものではなかった、ということも実に多い。
年を重ねるほどそう思う。
思い描いていたようにはたいていならないけど、イレギュラーを含めて楽しめたほうが人生楽しいなと感じてきた。
イレギュラーが転換期になることもあるので、描いたようにならないことも満更悪くない。