⚠今回は通常よりさらに感情のままに書いてます⚠
両親がそんなに好きではない。強いて言うなら嫌いに近い好きくらいだろう。
ただ、言葉を濁した通り「嫌いな部分はあるが、すべてにおいて拒否するほどではない」レベルである。
母は今まで私の心にずかずか入り込んで、父に相談できないことを私に頼ってきており、気づくと私に抱えきれないことを投げられたり、期待されたり、母の思い通りにいかないとヒステリックになったりと、過干渉で心を踏み荒らしていくようなことが多かった。
父は干渉しなさ過ぎて何を考えているのかわからないし、母からの負担は夫婦でのコミュニケーション不足からなのでその点においてイライラしてしまう。
父に話すときは大概決定事項を伝える段階の時しかなく、それに対して何か言われると相談できる雰囲気もないのにこの段階で言われることが腹立たしいし、夫婦で相談してなかったら子供が相談できるわけないだろうと怒れてきてしまう。
二人とも毒親というほどでもないし、虐待も受けたことないし大学まで行かせてくれてる。
でも、最近自分の生きづらさを考えた際に生育環境に観点を置いたとき原因が主に両親にあったことから、まだどう対処していいかわからないのでとりあえず心が何も感じないようにシャットダウンしている。
私が両親に期待しているのが良くないし、どうにかしようとしていることもよくないことなのはわかる。
これをどうにかするためにもまず物理的な距離が置けないのであれば心の距離を置くべきだという思考になっている。
これを書いていてもいい気分にはならない。
あぁ、しんどい。私がここからいなくなるのが何よりである。
まぁ、それでも父がお土産を買って切れくれたり、母がおいしい料理を作ってくれるのは単純に嬉しいことなのに、シャットダウンしているせいでそれに喜べていないのが悲しいし、「喜んでくれるだろう」と思ってやってくれた人に素直に感情が出せなくて申し訳なくなる。
最近はこういう時のシャットダウンのオンオフがうまくできなくて自罰してしまう。
大して気にしなくていいんだろうけど、ポジティブな感情は表に出したいしなぁ…というそんな具合です。
これは即効性のある解決策はないと思うので、手探りで対応していこうと思う。
言葉にするだけで心の膿が少しは小さくなって楽だね。
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本当にちょっとしたことなんだけど、昔、家庭教師のバイト経験から、子の勉強を教えるときに少しだけ聞き方を工夫している。
— marie (@izakayamarichan) 2020年5月27日
それは
「どこがわからないの?」
ではなく
「どこまでわかってる?」
と聞くこと。
親も理解度を正しく把握できて
子も怒られたと勘違いしない。
うちの子にはこれがきく。
「前にも教えたよね」って言葉は医療の現場で絶対使ってはいけない言葉の一つ。
— ヤクザ管理薬剤師Baron (@yakuzayakuzaisi) 2020年5月27日
これを言われると、悩んだ瞬間に質問ではなくて曖昧な記憶に頼るというリスクのある行動を取るようになる。
「一回でここまでは覚えたんだ!凄いね!」が正しい回答。
同じことを言いたくても伝え方ひとつで相手へのダメージや今後の行動が変わるし、言葉選びって難しいし咄嗟のことが多くて最適解はいつもだせないけど、トライ&エラーを繰り返して真摯に向き合うのを大切にして期待と思った。