自分魚拓

自分の気持ちをネットで検索しがちなので、ネットの海で誰かの何かしらのお役に立てればと思ってます。

なんどもやるよ。きもちのふりかえり

rebornflat.hatenadiary.org

 

このブログめちゃくちゃ大切なことを言ってらっしゃる。

 

心を守るというのは端的に言えば「気持ちを受け止めてもらえた」と感じれることだと思う。

 

仲間や監督の前では気丈に振る舞い、ピッチャーに選ばれた仲間には頑張れよ!などと励ましているかもしれない。
だけど、家に帰ったら、そういう”大人の振る舞い”を脱ぎ捨てて、本当の気持ち、「選ばれなくて悔しかった」という気持ちを、
誰かに喋って、受け止めて欲しいのではないだろうか。

 

そうやって、悔しい気持ちを受け止めてもらえてこそはじめて子どもは現実の世界に自分を適応させていこうと思える。

 子どもの頃のひとつひとつの「受け止めてもらえた」って経験は何にも代えがたい大切なことだと思う。

大人にとっては小さなことでも、子どもにとっては人生の一大事件かもしれない。

子どもの頃は自分だけでは、気持ちが処理して受け止めにくいから、身近な親に話すことで自分の気持ちを一度託すことで、処理しようと最後の頑張りなんだと思う。

受け止めてもらったことで、自分でも気持ちをはじめて受け止められるのではないだろうか。

これが、話さなくなるのは、自立なのか諦めなのかでは全然違う。

 

 

社会的な正しさ、ではなく「子どもが抱えている気持ちを分かってあげる=共感」が現代社会には圧倒的に足りないし心の病になる様な子どもの親は、共感が圧倒的に足りない。

 

由美さんが愚痴を聴かないと、すごく怒りました。
でも、由美さんの愚痴は聴いてくれなかったそうです。
お母さんに不満や要求を言おうとすると、「お母さんはこんなに大変なのに、そんな事言わないでちょうだい!」と拒否されます。
由美さんのお母さんは、長年にわたって強い愛情飢餓を抱えている人です。
無意識のうちに由美さんに求めることで、愛情飢餓を満たそうとしていたのです。
(「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる! 古宮昇 すばる舎

 私じゃ。

愛情は他人からまかなえるほど簡単なものではないし、それはずっと応急処置を続けているような状況だ。

それに、搾取される方はどんどん苦しい。

子どもなら、それで存在価値を肯定されるとどうしようもなくなってしまう。

ヤングケアラーの記事を読んで、こどもは不条理に置かれてもそこしか社会がないから、そこで頑張るしかなくて頑張ってしまって、心が折れるか、非行に走るか、極端な選択しかできなくなってしまう。

私はライト目だとは思うけど、それでもしんどかった。

こんな風に過ごす子を少しでも減らしたいし、少しでも生きているのが楽しいなと思えるような人が増えるような環境を作りたい。

 

 

つまり、「気持ち(本音)を話す=相手(親)には受け止めてもらえない」というルールを持っていると、
学校でも職場でも、親との関係によって作られたルールが子どもを縛る。
「弱音や愚痴を言いあいながら人間は支えあっている」とは到底思えず、
本音を溜め込んでしまうし、弱さを見せない人間に他人は親近感を持たずに孤独を誘う。

 少しづつ、アルバイトから会社で働いてと社会に触れるようになると、これが如実に出てくる。

これは認知のゆがみを自分で取り払って、そのうえでそれを失敗しても続けながら、助けてくれる成功体験や、それを通じて信用できる人を作っていくしかないんだけど、これって書くより簡単なことじゃないし、認知のゆがみって自分の当たり前になっているから、まず何が違うのか気づくのにめちゃくちゃ時間かかるから、長い目で取り組んでいくしかないんだよね。

現在進行形だけど私もちょっとづつやってるよ。

 

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