自分魚拓

自分の気持ちをネットで検索しがちなので、ネットの海で誰かの何かしらのお役に立てればと思ってます。

そうじゃなかったのかもしれない

書き始めようと思ったけど、前もこんなようなこと書いた気がする。

まぁ、同じようなことかもしれないけど前回よりその件に関する理解度が深まった見解をできているかもしれないから、復習がてら書くよ。

 

保育園で半年勤務して考えることがある。

最初は「私のような子がこれ以上でないように」という気持ちだった。

でも、実際やり始めてみると大きくみんな困っているわけではないし、私が奉仕のこのモチベーションでやってたらしんどいし、続かないなとシンプルに思った。

 

でも、幼児の成長に携われるのはシンプルに感動した。

保育に携わって、大人数の効率を求めがちになり集団で見ざるおえない保育よりは、少人数で一人一人に向き合える余裕があり、全体で情報共有ができる小規模保育がいいと思った。

 

年少くらいから会話ができるようになるから、言葉を通じたコミュニケーションをとれるのも楽しい。

考え方や言葉が与える印象などを伝えたり、一緒に考えるのもシンプルに嬉しかった。

 

障害のある子をみる機会が何回かあって、その子に対してストレスのあるようなことしかできていないし勉強不足だと思い、療育のボランティアに行ってきた。

ボランティア前後でのミーティングに参加できて勉強にはなった。

でも、結局はボランティアだし、職員の方も余裕がないから深くは聞けない。

それに5hボランティアをして得れるものが少ないと思った。

それは先ほど述べた職員の方の状況もあるが、なにより私自身の知識が少ないから障害のある子といても観点が少なかったり、話の内容もわからない単語を聞いてから検索、知識不足ゆえに「予測→実際に見る→振り返り」ということができず、「しらんわからん→なんだこれ→検索」というめちゃくちゃ効率の悪いやり方になっているから、「得れるものが少ない」と感じてしまっているのだと思う。

 

これは保育園でもそうだと思う。

保育園の方が障害のある子より、なんとなくでできないことはないから強く感じてこなかったが、保育園も結局は似たような感じだったのかと今になって思う。

 

あとは学童のアルバイトをしてみようと思う。

さっきの言葉でのコミュニケーションでの気持ちから、小学生の方が言葉での交流も盛んだし、世界がいろいろ広がる期間だからこそ携わってみたいと思った。

 

とか、いろいろ行動はしてみてはいるけど結構な頻度で考えることがある。

 

私はこどもが好きなのか

 

正直即答できない。

てか、Yes/Noだったら、Noと答えてしまうかもしれない。

別に嫌いではない。

ただ、わたしがやったことにわかりやすくリターンがくることと、積極的に必要としてくれることが嬉しいというのがある。

それを理由にYesというのは何か違うなとずっと心の底で感じている。

この理由で保育をすることは依存みたいなことになる気がする。

 

どうすればいいんだろう。

正直晴れたと思った道が進むほど霧がかっている状態で足が止まりそうになるし、何回か止まりかけては無理やり歩いて、今とりあえず苦しいと感じる大規模の道を避け、小規模を深めること、学童という新しい可能性が開けそうな道に歩いていこうとしている。

 

こどもが好きという人はTwitterなどを見ていると、楽しませたいという思いがあふれている。

私も楽しませたいという思いはあるが、それよりもどうしたらこの子のいいところを伸ばしたり、改善点を克服することなどばかりに目が向いてしまう。

何か違うという感情がずっと渦巻いている。

 

保育されている側も今の自分を肯定的より、改善ばかりに目を向けられるのは気持ちよくないだろうなと思う。

私も素直に心から楽しくは感じない。

できないことはないからやれているけど、今の私に向いていることでもない気がする。

 

こどものことを勉強するのは好きだ。

昔の気持ちの理由、成長の過程、脳の仕組み、なんとなく知らなかったことが晴れてきて明瞭になり面白い。

保育関連の知識をつけていくと、生き方とか考え方とか一新されていく感じあるから面白いし、何か理由をつけて辞めたい感はあるけど、別に辞めるほど合わない感じでもないけどなとも思った。

 

 

何に向かっているんだろう。

 

生きていくうえで私が楽しいと思わないと続かないし、周りにもいい影響を与えないのは最近身に染みてわかる。

だからこそ、感じている違和感なのだろう。

 

私が楽しいと思ったことを伝えられるのが一番だ。

それはわかっている。

 

最近で私が楽しかったことは片言でも英語が伝わったこと。

 

その気持ちがベースで考えれば

・幼児英語教室(楽しかった自分の気持ちを伝える)

・ゲストハウス(単純に海外の人と話す機会が多い)

 

とか考えられる。

ゲストハウスで保育士資格があれば、レアキャラとして重宝されるのではないかとも考えている。

幼児英語教室も資格があれば有利に進むと思う。

 

それか最近歯医者の受付兼保育士もいなと思っている。

安定感と業務量、英語が出きれば武器になるし、保育士としてたまに保育に携わるくらいが私にとってベストなのかなとも思う。

この間に通信大学で認定心理士取得できたらよいなとか考えたり。

 

 

こどものことを客観的に見える人はすごいなとただただ思う。

私はついその子の気持ちになってしまって客観性が低い。

客観性を持っている人は初めからすごくできていたわけではないのはわかるが、向き不向きもあるのではないかと常々感じる。

「この子は人の顔を見て判断するよ」「この子賢いからね」これらのこと本当にどこ見ていたらわかるのか、本当にわからん。

 

いつもその子の気持ちばかり注視してしまうのが客観性を低下させているのはわかる。

あと、私の考えが正しいか自信がないという気持ちが前に出すぎてしまう。

絶対正しい判断ができる人なんていないからそんなに重く考えなくていいのに、考えすぎてしまって無意識の責任回避で浅くしか考えられていない気がする。

 

 

ふと受付をしていた頃を思い出した。

あの時はコミュニケーションをとれるけど、私だけが考える時間もあって、そこで一旦落ち着いて整理したり対応できたのが私の持っている能力を発揮できていたと思う。

 

今の保育園は日々現場の渦中でバタバタしながら、その中で対応するということが向いていないのではない気がする。

だから、大規模より小規模を好むし、結局はベビーシッターをやりたいというところに到達するのではないかと思う。

 

私にとって、何かをしていく中でちゃんと私の考える場所というか時間があることが大切なのではないかと今気づけた。

だから、保育の道もあながち間違ってはいないんだと思う。

改善的なことを考えてしまいがちなのは、勤務中にそういった時間がないから、楽しむことより優先してそちらばかり考えてしまうのではないかと思う。

 

この特性をうまく使って、保育関連の何か仕事を見つけられるとよいな。

区役所とかの職員募集にそういったのがあったし、何かと探せば出てくるだろうからコツコツ合う道に進んでいくしかないね、