自分魚拓

自分の気持ちをネットで検索しがちなので、ネットの海で誰かの何かしらのお役に立てればと思ってます。

自己嫌悪

タイトル通り。

完璧主義、目標が高すぎ、自分に期待しすぎて、できてない自分に嫌気がさす。

 

その後にはやらない理由より、自分の恵まれた環境に罪悪感を覚えて死にたくなるような暗い気持ちになる。

 

いっそ責めて欲しいけど、そんなことはされないのも辛い。

その環境を素直にありがたく思えてない自分もしんどい。

 

要するに、私が前進すれば済む話なのはとうの昔からわかってる。

コツコツ少しづつ実績を積んでいくしかないんだ。

 

周りと比較しても状況は変わらないし、やりたいことを考えると今の環境ではもう限界だ。

 

だから、この環境に浸らず動くのは私なんだ。

就職の心配よりも、まずは資格を取ろう。

そこからまた考えればいい。

ゆらりと

2日連続で2時3時寝ると体がおかしくなるとヒシヒシ感じる。

 

今日は昨日のことをひきづりながら、遅寝遅起きに自己嫌悪してた。

 

学童でも開口一番に「今日元気ない?」と言われた。よく見てる人は見てるなぁ。

 

昨日のことは心の整理がなんとなくついて、まず相手に期待しすぎないし、受け入れられようと努力しすぎず、自分のことを第一に大事にして働くこと。

 

うつ病で仕事を辞めた私が社会復帰するまで~後編~ | ショープラ

「まずは8割の力を抑えることを意識しましょう」と言われました。

 

・まずは基本の流れを覚える、わからないことは聞くことだけを意識。 

・初めの3か月はウォームアップ程度の気持ちで。

・無理せず、着実に進むことを意識して。

 

これは、今の私に必要な内容だと膝から崩れ落ちた。

このマインドで、気楽にやりたい。

 

「私は私だから」多部未華子が大切にしてきた自分軸|「マイナビウーマン」

両親には小さい頃から言ってるんです。『期待しないで』って。『できないものはできない。それぞれの人生だし、きっと生き方も環境も時代も違うから』って(笑)。小学生くらいから、ずっとです」

 

「だから、何か言われたとしても、期待をしないようにしてもらってます。

親を悲しませることはしない、という思いはもちろんあります。でも『こうしなさい』って言われたことを、その通りに聞く人間ではないということは伝えてきているので、もはや最近は何も言われなくなりましたね(笑)」

多部ちゃんの言葉がズドンと刺さった。

つい、自分軸と相手軸、境界線が有耶無耶になりがち。

だからこそ、期待をせずに淡々と自分の心地良い環境を模索しながら、できることをやるのが大切だよなと思った。

 

学童で法律やら図鑑など知識を得ることが好きで小難しい言葉は出るが、相手への思いやりとか共感感情が乏しく、自己中心的でなかなか会話も成立せず、難しいな思ってる子がいる。

 

というのを書こうとしたけど、そもそも私の思う通りにしようとしていることが難しいことになってるのかなと思った。

この子の知識は武器だけど、自分で武器を錆びさせてる状況なんだよね。

だから、それを大人が能力を発揮できる環境にもってくのが仕事かなと。

ただ、環境には社会があるから少しずつその子がわかりやすいような社会観を持てるきっかけづくりができたらなと思ったのでした。

 

小学生過激なことを言うなと思ってたけど、思えば私も中学生で深い意味はなく好奇心で、「人をさしたらどうなるか」「レイクと☆☆プって似てる」など発言していた過去がある。

今となれば馬鹿野郎と言いたいが、あの時にヘンテコ発言を受け止めてくれた人がいたから、今の私がある。

だから、まず受け止めて共感して、その時分からなくていいから倫理観や社会観を伝えられればそれでいいんじゃないかな。

私のやってることは種まきだから。

 

ちゃらりらちゃらりら

どうも。

やっぱりマメに吐き落としていかないと、毒素がどこかで爆発する事を身に染みて感じたので、自分の中で丁寧さが低いはてブでなるべく短文でもいいから、その日思ったことを書こうと思う。

特に意味のあることを書きたいのではなく、言語化することで第三者的なポジションから気付けることも多いと思うし、いつかの未来の自分のへのエールになれば。

 

 

1/17に心から「このままで生きてていいんだ」と思えたのを言葉にできて

3/8に上のことを思えたのはいいけど、やっぱり今までのポジションだった被害者面して、なんな病名をつけてほしいんだって気づけてから

今は4/5。早いものである。

試験勉強やってなさに強い後悔を抱きながら、今から挽回というよりはこの段階で気づいてよかったし、来たる神奈川を合格しようという気概。

 

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今日は初日で相変わらずの私は気を使いまくりでしたとさ。

見捨てられ不安みたいなのがやっぱり強いし、それを自分で少しでも低くするために頑張りすぎて独りよがりになって空回るのは草。

 

そう思うともう一個の施設は初めから現場全体に余裕があって、空回りしてなかったな。

 

できなくて知らなくて仕方ないと思う。

保育経験1年満たないし、子育て経験もない中よくここまでできてると思う。

それは、見捨てられ不安が功を奏したことで、毎回ネガティブな方向に行ってるわけじゃない。

 

それに、わからなくて何もしないより、行動を起こした方がその時は痛いかもしれないけど、経験値が上がって強く逞しくなれる。

今日の私はその一歩目だったから強烈に痛かった。

 

てか、私の地域の方言は強い言い方に聞こえるかもだけど、保育内では標準語の丁寧な言い方なのね。まぁ、確かにそうなんだけどさ、地域性も多少と思っちまうよ。

 

あと、思ったより大きい声を出してしまうかもしれないことが判明したので、自分が思うよりも優しく。

 

泉 秀生/Shu IZUMI on Twitter: "6歳ムスメに「ピアノの練習はしたの?」と言いたいのを飲み込み、「この前のピアノではどんなことをやったの?」に言い換えたところ、弾いて聴かせてくれた。 とても上手で感心したので、それを言葉で伝えたら、普段5分の練習が40分ほど続いた。 伝え方の工夫とともに、伝えることの大切さを感じた。"

 

やったの?って言われて好きな言葉じゃないし、返答したくなる質問が素敵やな。

 

 

あと、オペアのアカウントで「思い通りにさせるためにイライラしながらやるより、楽しくでも裏では仕事はちゃんとやってる方がカッコいい」って言ってて、本当その通りだし大人が楽しくなきゃなって思う。

 

ぽやり

 

 

 

それに、個人だと知識の偏りが出てくる気がする。
自分の興味ない知識と出会うきっかけづくりのためにも学校いいな。 

 

 それな、みんな頑張って無理してるよな。

 

 解像度アップ感ワクワクするよね。

 

 これは確かに。
その時の自分の気持ちが一番鮮度度高いし、その時のかけがえない体験もできるかもしれないからな。

 

 普通と比べるのではなく、その子のできるに目を向けたほっこりエピやな。

 

 その言い方で人が嫌になるって伝えてきてもらえなかったんだろうな。
とか、それがスタンダードな環境か。

 

 自分を肯定する道具ではなく、その子の幸せを第一にした気持ちだな。

 

 保育でもそんな感じだ。

解像度が上がるほど知らない世界が広がっていく。

2021.1 心の整理

最近感じる空虚感は3年向き合って、やっと自尊心や自己肯定感が出始めて成長するために必要な過程だと思う。

この空虚感は多分母に依存してたもの。
大きな穴を大きな物で埋めたい。
でも、それをしたら前と同じ。

 

前オンラインの自助会で言ってたけど、小さな依存先を沢山探して埋めるのが大切だなぁ。

 

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紙日記に久しぶりに書こうと思ったけど、あんまり筆が進まなくて、理由を考えた結果、前より頭の中で自分のモヤモヤに蓋をしなくなったり、話を聞いてあげたり、文に起こしてみたり、こまめにケアができるようになったからだという結論になった。

 

いい傾向だな

 

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honto.jp

 

最近、母に相談して改めて思ったのが共感はしない性格で、自分の経験談を語ることが良しと思っているんだなということ。
やはり、境界線を引かないと私の願望をかなえてほしくなるし、あちらの要望に一生引きずられると思った。

この本を読了して、母のようなただ依存を求める相手に対して、下手に付き合わないず、ただ寄り添うと巻き込まれるだけということを再認識した。


普通の関係なら距離を置くだけでいいと思うが、職場や家族のような長期的に付き合っていく相手に対しては境界線をきっちり引き、長期的な視点を持って関わることが大切だと学んだ。

 

自分に対しても長期的な視点が備わっていないから苦手分野ではあるけど、長いスパンで考える癖をつけていきたいな。

 

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honto.jp

 

これは読了できずじまい。

本のなかではなかなかヘビーな環境が多くて、自分の日常とは比較にならないことが多かったけど、逆境の中でもいかに心や行動を前向きな方向に起こせば、ひどい環境を抜けれた後も引きずらずに生きていけるか、勇気をもらった。

 

脳科学でも心理学の本を読んで思うのは、笑顔でいるだけでだんだん嬉しい気持ちになったり、前向きな考え方でいるだけで行動が変わる事実を知って、自分を思い込ませる(騙す)って前進させていくためには必要なテクニックだと実感した。

 

年末年始の心のモヤモヤまとめ

幼稚園時代からの友達と気張らずに会えた。

多分再会しだした高校生くらいからずっとしっかりした自分を見せないといけないし、相手が高度なことをしているから少しでも私もそんな雰囲気を出さねばとか思っていた。

でも、相手はそんなこと求めてないだろうし、人間って対等っていうのを読んでから、相手を異常に高く上げずにフラットな気持ちで会おうという心構えができた。

そんな気持ちで会ってみて、すごい楽だったし、友達のこと好きだなと思った。

 

素直になるのは楽だなと思ったよ。

ガチガチに心を作り上げて否定されるのを恐れなくても大丈夫だと気づけた。

それよりも、適度な境界線を作って否定的な言葉がきても客観的に見れる位置に入れることが大切だった。

 

 

わりと全員に嫉妬してた。

人のことを褒めるけど、それと同時にいつも「私は出来ていない」と自己否定をしていたのでしんどかった。

褒める時は対等というより、自分を下げて相手を上にする褒め方だったからしんどかった。

相手から褒められてもそんなんだからうまく受け止められなかった。

いつしか、羨望は嫉妬に変わっていたな。

でも、さっきと同じで対等という考えと境界線を持ち合わせるようになると、自分に関して正しい認知ができるようになって嫉妬は少なくなっていった。

それと併せて、自分ができていないことが浮き彫りになるからほんの少しづつだけど羨望を感じたほうに近づけるようになった。

 

 

探求心があるよね

読書していたり、話を聞いていて「どうして」を追求するのが面白いと感じるんだよね。

これは誰にでも備わっているわけではないと気づいた。

これは私の強みとして扱っていいし、今までより強く意識してこれを携えていろんなことに取り組んでいこう。

 

 

根本で幸せになってはいけないという気持ちがあるな

ACを少しづつ克服して、やりたいことが見つかりかけている今「私みたいな子がもう現れないように」って思いが膨らみすぎて、楽しい方から離れている。

別にこう考えるのは悪ではないけど、今こういう方向に行くと自己存在を肯定するための拠り所にして依存しそうだなと直感が語る。

むろん助けたい気持ちもあるけどさ、自己が確立されてない今やることではない気がする。

今すると自分がわからなくなりそうだ。

 

本当に心の底から幸せになっていいなんて思えないんだよな。

なんでだろう。

自分が存在していいことに何にも自信が持てんのよな。

 

今自尊心を調べてて、今までの私の成功目標は「家族がいい雰囲気で仲違いなく過ごせる」的なことだったから、自分の中では生まれてこの方成功したとは思えていないし、小さな成功があったかもしれないけど、子どもの頃からの私にとっての成功は完璧なもの過ぎてそこには目が向かなかったし、両親からも大して褒められこなかったから、自分の完璧の感覚の世界で1人でみんなに求められる自分を演じてきた。

 

でも、自分を軸に考えてきたときに自分のためにした成功体験は思いつかないし、何もできていないと感じる中で自分がやりたいことをやってもいいよって言われてもわからないし、できてない自分が自分の幸せを追い求めるようなことをしていいのか後ろめたさなような感情も出て、困り果ててしまったんだよな。

 

年を重ねるごとに自分の意見が求められる中でどんどん息苦しくなったんだよな。

 

最近ようやく整理しだして思うのは、習字や漢字みたいに深く探求していくのも好きだし、短期のアルバイトたくさんして幅広いことを知るのが好きだし、ヨガのようないろんな人と会話するのもすごい好き。

保育の人のことを深く知るために、脳科学や栄養、社会環境など知って、それを現場に即落とし込んでいけるのも好き。

 

っていうことには気づけた。

 

まだまだ、自己を確立している最中である。

年齢は気になるけど、今やっていることは今後生きていくうえで大切な土台になっていくだろうから、時間がかかっていいから自分が幸せになる方向を探そう。

幸せになっていいから。

もう十分頑張ったから。

誰のストレスも悩みも極力背負い込まなくていい。

今は自分をケアすることが最優先。

気を緩めるとすぐ他の人のこと考えてしまうから気を付けよう。

自分は幸せになる方向にやりたいことをやっていい。

私の人生だから。

 

 

なぜなのかアウトプットしてまとめるぞ!!!

明日の伝え方をまとめるゾイ。

 

まず大規模園を辞めたいな。
→なんで

・大規模園のやり方が合わない

人権を無視した発言
効率重視の保育

1人1人と向き合う時間がない

 

・雰囲気が合わない

余裕のないせかせかピリピリした雰囲気

大人数の中で働くのが向いてなかった

 

将来的に一人一人と余裕をもって向き合う時間がある保育をしたいと思った

こっちの方が園長の意向が全体に伝わり、パートにも園児の情報が行き届き、正規の職員の方と話せる環境があるのもいい

 

アルバイトだから学校ではないし、教えてもらえるわけではないが小規模の方が学ぶことが多い。

 

大規模はそもそも園全体の雰囲気が合わないから、固定クラスになっても解決にはならない。

 

薄々感じていたけど、我慢したらできると思って続けていたが11月後半から精神的にしんどくなってきた。

早めに相談するべきだったが我慢できると思い貯め込みすぎた。

 

急に伝えることになって申し訳ない。

週2で働かせてほしいが、雇用上無理ならクビにしてもらっていい。

週2になったら社会保険も外してください。

 

 

なぜアフタースクール行きたい

幼児のトイレやご飯が食べるようになったという成長を日々寄り添い保育できるのは楽しかった。

でも、年長年少など関わるようになり、気持ちを言語化する手伝いや、一緒に問題について考えるのが楽しかった。

 

この経験から小学生の子の方が言語化や一緒に考えることなどが多く、将来的に保育士として勤務するにあたり、どういう道がいいか経験したいと思った。