自分魚拓

自分の気持ちをネットで検索しがちなので、ネットの海で誰かの何かしらのお役に立てればと思ってます。

2022/1/31〜2/6

【バレンタインで】

心配して延長勤務してたのに、しれっと来たと思ったら「まだいるの?帰って大丈夫だよ」みたいな感じで感謝的なのもなく一言吐かれて、余計な心配しすぎたかなと反省しかけてたら、おばちゃんが「や、じゃあ先に言っとけやって感じじゃない?!?」って代わりに怒ってくれて嬉しかった

 

【園で】

寒くてガニ股変な歩き方していたら、4歳の子が真似してくれて、ずっと覚えて真似しててくれて嬉しかった

 

【支援講座で】

講座のおばさん良かったけど、話したら疲れてたのかこちらの意図を汲んでくれる姿勢がなく一方的な話になって、1人語りならよく見える人なのかなと感じた

前も書いた気がするけど

熱が出た。

抗原検査、PCRもやってもらったけどコロナは陰性だった。

 

先週は試験が終わったけど、休んでるようで休めてなかった。

試験のストレスは私の想像以上だったのだと考えると、今回の熱はそれを引きずりながら日常的な小さな抱え込んだストレスももりもりの熱だったのだと感じる。

 

過去形で言い切りたいけど、実はまだ37.5の微熱が続いてる。

調べたら、心因性発熱の記事の内容がめちゃくちゃ心当たりがあった。

 

思えば去年の12月前半もこんなような微熱がダラダラと出て、1月末に突発性の高熱が出た。

当時は特に体調を悪くしてたわけでもなかったので不思議だった。

 

今思い返すと、方針の合わない園で働くことのストレス、1ヶ月早く辞めたかったのに延長して働いた1ヶ月分の疲労など、表には出さないように頑張ってたけど、体が先に倒れてた。

 

母に昔みたいに無理はできなくなったから考えないとと言われた。

たしかにそれはそうだと思い、心因性発熱かもしれないなど話したら「そんな弱かったけ?」的なことを言われた。

 

心因性発熱が出ないのは強いことかもしれないが、体のどこかでその出ないために歪みを受け入れて無理をしてるのかと思うと、発熱が出た方がよっぽど健全だし、体の機能がちゃんと働いてて強いなと思う。

 

昔は理想の自分像に焦点を当てて、今の私と向き合わなかったので、歪みが出ても無視だし、何か違う過食とか夜更かしで紛らわせてきた。

でも、それも10年以上やり続けてると特に精神的なところで回復が長期化する難しい問題となって現れてた。

 

その自分との対峙は前のブログにあるように酷く辛かったし、社会的生活は普通に送るのは難しくなってしまった。

 

そう考えると、ここ1年の発熱は精神的に負荷をかけるわけではなく、不器用だけど発熱という形でわかりやくSOSが出るようになったということで、とても前向きな成長だと思う。

 

発熱しないにこしたことはないけど、疲れた時は正直にしっかり時間をとって休んで自分を甘やかそう。

 

共依存

共依存について改めて認識が深まった。

 

ゲーム付き合いたくない

いなくなったら悲しくなるだろう

いる

イライラする

異常に疲れる

 

自分の嫌な気持ちよりも、相手のことを優先

 

切れない

 

相手の感情基準

 

感情で動かすのは健康的ではない

 

兄弟の距離の取り方は極端に冷たいかもしれないけど、飲み込まれないためには必要な生存戦略だと思う

 

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共依存ってアダルトチルドレン系の書物でたくさん出てきたけど、いまいち意味が分かってるようでわかってなかったなと最近気づいた。

正直今も説明できるとは言い切れない。

 

上記のことはこれが共依存なのかなと気づいた話。

共依存しんどいね、

 

 

 

 

やっぱり名前をつけて欲しい

https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1005/24/news003.html

 

https://soar-world.com/2019/07/09/miyuhayashi/

 

https://www.e-heartclinic.com/kokoro-info/special/research_2.html

 

https://www.asanohisao.jp/archives/2451847.html

 

って思うときや周期もあるよね。

 

ほんとに症状があるときもあると思うので、自己否定しすぎず受容してあげながら、人に話す、頼るが効果的なのではと最近は思うよ。

特に妹になんとなく日々のことを話すようになってからは心が落ち着いてる率が上がった気がする。

 

最近は、基本的にアダルトチルドレンの気のやわいところが、その時々でひどくなってる感じなんだろうと捉えているよ。

 

無理なときは専門的なところに頼ろうと心に決めてる。

 

こういう状態に陥りにくくするためにも、日々インプットして考え方の幅を広げることで、自分を救えたり、いい捉え方ができたりできる可能性が広がるので、いい意味で没頭できる機会を増やしていこうと思ったのでした。

。。。

自分を徐々に大切にできるようになったなと感じる日々です。

 

最近は幸せになることへの罪悪感がほぼなくなってきた。

自分の好きなことやりたいことにお金が出せるようになったり、自分の好きなことに対して「いいのかな」と考えるのがほぼなくなってきたのではないだろうか。

長考するのはもともとだし、性格的なところもあるから別によしかな。

 

試験勉強に取り組み始めてから、変に考えこまなくなったり、勉強すればするほど自分の頭でモヤモヤしてたことが逆にまとまってきて、興味のある分野での没頭することがこんなにもプラスに働くのかと驚いている。

 

今回没頭の効果が出ているのは、これまでいろんな自分と向き合って受容してアップデートをしてきたのも大きいと思う。

なんだかんだで全部つながっているんだね。

 

最近自分の特徴について書いているんだけど、わかっていることではあるけど視覚化されると記憶に残りやすいし、客観視する癖がついた気がする。

 

やるぞできると自己暗示が思ったより効くな~と気づけたのも、フルマラソンで途中からずっと自己暗示しながら走った経験からだし、一歩一歩知らないうちに進んでたよ。

 

 

ふわ

妹が私の気持ちを代弁してくれて嬉しかった。

 

私は母にずっと中2後半〜高校3年生くらいまでの自分の頑張りや悩みをずっと受け止めてほしかった。

 

でも、それは当たり前でいつまで経っても特にすごく特別に何か言われるわけでもなく、そのモヤモヤはしこりとしてずっと残っていた。

 

それに気づいたのは最近のことだった。

 

妹にちょこちょこ話してて、家族内での認知の歪みがあらわになって、自分と距離を取って考えられるようになった。

 

まずは、母父に「あなたは1人でなんとかしようとしてたから、あえて手は出さなかった」と言われた。

それを妹に言ったら、「それはおかしい」とピシャッと断言された。

 

大方、おかしいとはおもっていたが、心のどこかで私の姿勢にも非があったのかなと自責するところもあったので、妹の一言で心から肯定できたし救われた。

 

独りよがりで頑張らなければいけない私を助けて欲しかった。

 

私が家族全体で手伝いが少ないという母に対する不安とともにそう言ったことを話すと、「あなたの基準は高いから」と、私のこれまでの経歴を肯定するより、あなたが不満に思うことはしょうがないと話始めからシャットダウンされているようで、虚しかった。

それと同時に、満たされないあの時の気持ちをこういう時に補填してほしかった。

 

 

今日、妹が弟に手伝いを促すようなことを言ったら、母が「昔は弟くんが本当よくやってて、助かったのよ、だからやる時はやるから」と言い始めた。

昔の弟のことはわかるが、それをいうならなぜ心を殺して苦しくなってまでやっていた私は何も言われないのだろうと悲しみと同時に怒りが込み上げた。

 

察してくれた妹が「それを姉の前で少なからずは言うべきではない」と言ってくれたおかげで、少しは助かった。

 

それでも悲しみは変わらない。

 

こんなことでグズグズしてるのは時間の使い方がもったいないのはわかっているが、何度も消化不良で蘇るこの気持ちは、距離を置くか何かしらしないと、どこかで影響を与えてくるので、少しずつ代替可能な方法を探しながら、小さくしていきたい。