さみしくて満たされたかったけど、そのためにただ穴埋めするのではなく、
将来的にさみしさが満たされるように、自分を愛して、満たされるような方向に行けるように今を頑張るのが私のやることだなと実感した。
今を大切に今をおざなりにしない。
さみしくて満たされたかったけど、そのためにただ穴埋めするのではなく、
将来的にさみしさが満たされるように、自分を愛して、満たされるような方向に行けるように今を頑張るのが私のやることだなと実感した。
今を大切に今をおざなりにしない。
祖母のためにと掃除や冷蔵庫の整理をした。
しかし、妹から事後に「あまり口を出しすぎるといい気持ちがしないと思って私は傍観してた」と言われて、やっちまった感をヒシヒシと感じた。
よかれが先行しすぎて本人のことを考えられていなかったとめちゃくちゃ後悔した。
そうだよね、本人のお城にズカズカと乗り込んできて、生活を否定してるのと同等に近しいよね。
意図を汲んで、それまでの生活を肯定するのが大切よね。
学び。
我が妹すごい。
「頼ってくれて嬉しかった」
と言ってもらえて、また一つ心の見えなかった壁がガラガラと崩れていった気がする。
頼っていいのはわかってたけど、心のどこかで「迷惑なんじゃないか」という気持ちがどっしりとあって、やっぱりできなかった。
でも、今回声に出してもらってようやく「私も頼っていいんだ」って思えた。
私が頼ることで喜んで?嬉しい気持ちになってくれる人がいることに気づいた。
行動してみることは大切だと改めて思った出来事でした。
こういう時はある。
普通の時ならここには来れずに回復した後くらいに思い出してくるだろうに、よく落ちかけの時にこれたね。
なんだろ、頑張りすぎちゃったかな。
迷惑をかけないようにしすぎると気を張りすぎていつもより疲れちゃうし、結局大ポカしちゃうときもあるよね。
誰かに相談するのも気が引けちゃったり。
最近ようやく自分の特性がわかってきて、少しづつ気づいてあげれるようになって、どう対処するか切り替えるか、どういう心持でいくかなんとなくわかるようになって、日進月歩で少しづつ成長できているね。
ここまでくると劇的な改変はなくて、こける時もあるけど少しづつ経験値を積んでいって生きやすくなっていくしかないんだよね。
2018年秋から私は着実に成長している。
自分に向き合って少しづつ生きやすくなってる。
今回どんなことで悩んでいるか今の私にはわかってあげられないけど、今の私ならゆっくりでも乗り越えられる。
泣きたかったら泣けばいい。
やっと心から涙があふれるようになった。
苦しいことを一回紙に書けばいい。
相談相手が思いつくなら死ぬわけではないんだから一回聞いてもらってみてはどうだろうか。
私の好きが私を肯定してくれる時もあるのでMVを貼っておくよ。
なにか気持ちをよくまとめられたブログでも貼ろうかと思ったけど、どれもその時の私が踏みとどまるため、次につなげるために嬉しかったことを書き留めるため、文字通り一生懸命書いたものなので、何かふらっと読んでみてほしい。
かける言葉が見つからないのだが、
鬱屈とした感情を抱えるのはそれだけ頑張ろうと生きようとしているための裏返しだと思う。
思いつめすぎると通常モードに戻るまでしんどい時間が長くなるので、
私が楽しいが第一で
肩の力を抜いて
あくまで他人は他人でできる限界があることを心に留めて
回復まで無理せず楽しく生きてください。
ふと昔のこと思い出しにくくなったなって気づいた。
前まではわりと鮮明に昔のことが思い出せてたけど今はあんまりぱっと思い出せない。
まるで、鍵をかけてしまったような感覚。
でもこれはこうなったからと言って気持ち悪いわけではなくて、気持ちとしては何かすっきりしたような感じがある。
昔は鮮明に記憶は甦るけど、その時の自分の気持ちはわからないし、ただ記憶として強くあるだで心は重かった。
鍵をかけたというより、必要ではなくなった感があるかな。
昔を思い出すために常にアクセスしやすいところに置くというよりは、今これからを生きていくために奥にしまってアクセスしにくくなった感じ。
こうなって安心できた自分がいる。
そっか、前を向いてようやく今を大事に生きれるようになったんだなと思った。
知らない間に体も前を向けるように調整してくれてたんだね。
両親に手紙を書いた。
やっと3年半以上向き合ってきた気持ちに整理と踏ん切りがついた。
恨んだときもあった。
怒れた時もあった。
死にたいときもあった。
苦しかった。
それでも私なんだと不完全さも受け入れられた。
虹がくっきり見えて、ありえない量の痰がでて、階段を上がった夢は私の今の状況を比喩的に表現していたと思う。
これでよいのだと今は感じる。
思えばここ2年くらいでやっと泣けるようになったな。
悲しい感情がわからなくて、命の尊さがわからなくて、愛がわからなくて、何が泣けるのかわからなかった。
泣いたら迷惑をかける。
泣いた母を見て泣くことは誰も幸せにしないと思った。
でも、泣いてもよかった。
自分の悲しい感情を受け止めてよかった。
悲しい感情がひどかったら泣いてよかった。
私が欲しかった母娘の愛情が描かれている映画を見て泣けた。
宗教の苦しさについて描かれている映画を見て大泣きした。
自分が言葉に落としたことが苦しかったと気づけて泣けた。
泣けるようになって楽になった。
よかったね。