今日アレルギーの子に危うく、アレルギー物を与えてしまいそうになった。
本当に血の気が引いた。
運が良かったと思えたけど、それよりも与えてしまってたらと考えると、こんなミスをする自分なんて「しにたい…」とまで思考停止に追い詰めてしまった。
しかし、これは次回への対応策にはなってないので、改めて今回は本当にラッキーだったことを踏まえて、次回からはまず周囲に確認をとること、また日頃からアレルギーの子はよく見ること。
今後、今回のようなミスを私ではなく、他の人が起こしてしまうリスクもあるので、そういう意味でも周囲をよく見る。
今回は本当にラッキーで、救われた命なのだから、これ以上自責しすぎずに前向きに。
今日、学童の社員さんに「アルバイトなんだし、そこまで責任を背負おうとしなくていいし、限界があるからね」と言われて、なんか肩の荷がスッとおりた。
いっつも気づくのが遅いけど、私知らない間に「相手のためになりたい」一心で、深入りしすぎるんだよね。
これって、相手も私に乗っかってきた時点で「共依存」になるんだよね。
私のアイデンティティって、今まで相手がいてその上の「共依存(もしくはこちらの依存)」で保ってきてたから、一人になるとどこでアイデンティティを確立したらいいかわからなくて、不安になって迷子になるんだよね。
最近つくづく、自分のために頑張れないと思ってたけど、自分のために何かしたことって少ないし、自分のためにしたっていう自覚がないから、例えそれが成功体験になってても、自分がそう認識してない時点で、それはいつの日かのただの経験に終わってしまっているのだよな。
解決はしてないけど、最近のモヤをうまく言葉に出せて少しスッキリした。
あと、園で今日少し話してもらって安心した。
私の中で話しかけてもらえない、もしくは相手と話せないことは自分を認めてもらえてない気がして、私のやっていることは正しくないような気がして不安になってくる。
多分、話すのが好きなのはあるけど、自分の中に「これくらいまでやったら大丈夫だろう」っていう基準がないから、つい他人の物差しでOKであることを考えている気がする。
他人の物差しと擦り合わせることは大事だと思うけど、あんまりそこに比重を置かない方が私は心が楽に生きられそうだ。
多分これまでの経験上、私の物差しで周りは十分評価してくれる。
私が楽しいが、周りも楽しい。